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コートダジュールコネクション
まだニース市内のページだけで、実際に役に立つ情報が
かなり足りないですが、徐々に載せていきます。
NICE Nissa La Bella
ニース市は、アルプマリティム県の県庁所在地。人口約32万人、フランス第5番目の都市。
アルプマリティム Alpes-Maritims は「アルプスと海と両方にかかる県」と言う意味。
ニースを拠点にニース市外の街や鷲ノ巣村、又、モナコ公国やイタリアに簡単に行けるので、ぜひ楽しんでって来ださい。
又海に飽きた方は、山でハイキングや又冬ならスキーも楽しめる、3000m 級の山がそびえている。
私達は南アルプスのふもとにいるのです。
ニース散策は、まず旧市街をかっぽしよう。
そして南アルプスと海が一望できる城趾公園の一番上までぜひ上がって下さいね〜。
旧市街で一番楽しい場所と言えば、毎朝「朝市」が立つ Cours Saleya サレヤ広場。有機栽培の野菜専門のお百姓さんも来る。
花市場は朝だけでなく夕方までやっているので、文字通りこの広場に花を添えている。
毎週月曜日は、野菜の代わりに「アンティーク市」が開かれていて、これ又見応えたっぷり。
又、旧市街の中には古い16世紀の教会が沢山あるので、教会見つけたら入ってみて。
ロセッティ広場 Place Rosetti の大聖堂 "St Reparaitre" や Rue Droite と言う道にある「ジェズュー教会」Eglise de Jésus は一見の価値あり。
この同じ道にある Palais Lascaris ラスカリス宮殿もお見逃しなく(無料)
各場所への行き方も「ニース市内〜見どころ」のページへ。
美術館で大事なのは、シャガール美術館とマチス美術館。行き方は次の「ニース市内〜市内美術館」へどうぞ。
お客様で時々「行く価値ありますか?」と聞いてこられる方がいるが、そりゃ〜お時間が許すのであれば行くべきだと思います!
ニース市外にも素晴らしい美術館が点在しているので、芸術を愛する方はお見逃しなく。
折角だから、ぜひニース料理も楽しんでって下さい。
ニース料理とフランス料理の美味しいレストランも紹介して行きますので、もう少しお待ち下さい。
ニースの歴史
ニースは1860年にフランスになったばかり。では、それまでは何処だったかと言うとガイドさんも人によっては「イタリアだった」と言う人も。決してまちがいではないけど
「ニースがイタリアであった事は一度もない!」と 地元意識の強いニースっ子は言う。
* 注: ニースっ子の事をフランス語で「二ソワ(男性)二ソワーズ(女性)」って言います。
ニースには二つの顔がある。
御存知とても華やかな観光地と、地元意識が強くて田舎臭い地元のニースっ子(二ソワと二ソワーズ)達の顔。
何たってニースっ子は、他の土地と一緒にされたくない!特に「北のパリと一緒にするのは絶対やめてくれ」と言うのでした。
ニースがフランスになったのは、1860年の事。
それまでイタリアだった、と言うガイドさんもいて決して間違いとは言えないけれど、でもそれがニースっ子の耳に入ったりしたら
「ニースがイタリアであった事は一度もない」と怒られるので気を付けよう!
当時いくつもの違った王国の集まりだったイタリアの一つ「ピエモンサルデニア王国」に保護されていた、
ニース伯爵がおさめていた「Nissa ニッサ」と言う国だったのであり、Nissa La Bella (ニッサラベラ) と言う国歌もある。
「ニッサ」と言うのは、昔使われていたニース語で「ニース」と言う意味。
1860年にフランスになって以来華やかな観光地として盛り上がり、ヨーロッパ中の王侯貴族がニースに訪れるようになった。
特にロシア皇帝やイギリスのヴィクトリア女王などが夏でなく冬に「避寒地」としてやって来るようになる。
そんなワケでロシア教会が残っていて、海岸沿いは「イギリス人の散歩道」と呼ばれ今でも古いイギリス系のホテルなども並んでいる。
今から50年前は、冬でも暖房が要らなかったほど暖かかったと二ソワーズのおばぁちゃんに聞いた事がある。
もうほどんど使われてないが「ニース語」も残っている。ちょうど、フランス語とイタリア語の中間のような言葉でポルトガル語によく似ているそうだ。ニース語を話せる二ソワの友人がブラジルに行ってニース語を話したら通じた、と喜んでた。ニースがフランスになって以来、学校や公の場所でニース語を話すのを禁じられてしまい、現在話せる人は一握りしか残っていない。旧市街の Rue Droite から上 Chateau 城趾公園 までの間の住民の中には、今でもニース語を話している家庭がある。又最近は、古い文化を残そうと大学で教えられるようにもなっている。そしてあの辺、城趾公園のすぐ下の界隈の住民は、二ソワが多い。ただし「ニース生まれの二ソワ」と言っても、先祖代々と言う人は少なく、大半はムッソリーニから逃げて来たイタリア人の末裔で、ニース語を話せる人達だったりもして、名字にイタリア系の名前を持つ人が圧倒的に多い。